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レインボーDUOワーク®

自分と思っている自分が、本来の“私”から遠のいているとしたら、軌道修正します。レインボーDUOワークは、ネガティヴな部分に向き合い、ポジティブになる自分を育てます。

オイリュトミー講座 ご案内

オイリュトミーの基礎クラス

 

どなたでもご参加できます。

緩やかな曲線、シャープな直線を背骨を光に意識的に幾何学のフォルムで動きます。

日常では使わない動きへの意識的なありようにより、“今ここ”に生きるレッスンとなります。

そして、言葉の響きとひとつになって、詩のエッセンスを身体で感得し、創作します。

 

☆日時は、未定です。お問い合わせくださいませ。

☆場所  日暮里サニーホール 会議室を予定してます。(日暮里駅すぐ)

 

 お問い合わせ

rainbowduowork@gmail.com

 

narikim.stores.jp

 

オイリュトミーとは、言葉と音楽を、動きを通して
感じる踊りです。
1912年度に、クロアチア生まれのルドルフ・シュタイナーにより創始されました。
シュタイナーは、人智学を体系化し、人間の本質をスピリチュアルな観点で解き明かしています。
その思想は、多岐に反映されています。
シュタイナー教育の一環であるヴァルドルフスクールは、世界中に800校を超えています。
教育、芸術、治療の分野では、様々なアプローチで、有機的な成長を遂げています。
オイリュトミーは、人間の身体を、一人一人の個である魂が宿る聖なる神殿として捉えています。
身体そのものが、ミクロコスモス(小宇宙)として、マクロコスモス(大宇宙)と照応されていることを、オイリュトミーの動きを通して感得します。
人間が、自らの身体を感じ入り、言葉や音楽の本質とひとつになるとき、ハイヤーセルフと呼ばれる、高次の自我に変容していきます。
これは、絵画が、素材である絵具の素材を進化させるように、
生命を宿している身体そのものに、意識の力で働きかける行為であります。
これにより、「玄体」としての霊化された身体が生まれると言われています。
私はこれを、創造の源のエネルギーである「無条件の愛」のエネルギーにアクセスし、「生楽舞」(セラヴィ)という舞を創始しました。

 

 

Nari Kim プロフィール
『NARI (Nari Adventurous Revolutionary Institute)』代表の金南里は、画家、オイリュトミスト、舞踊家、ヴィジョン心理学、ハコミセラピー、ファミリーコンステレーション、ファミリーカウンセリング、シータヒーリングサイエンスインストラクター、クリスタルレイアウトヒーリング、ヴィパッサナー瞑想、を経て人間、宇宙、自然界の神秘の内奥に導かれました。
芸術家の感性で、クラスを愛と光の波動に導きます。

オイリュトミーを、1985年から舞踊家、笠井叡氏に師事。2002年天使館シューレ卒業
柿の木坂芸術学校や各クラスで講座を経験し、舞台活動に専念する。
主な主演、振付、演出作品に、『天使の悲歌』,『薔薇の杯』,『宮澤賢治へのオマージュ』,『ロザリオ』,『ムジカムンダーナのバッハ』他がある。目取真俊の『水滴』以来、全て暗唱朗唱するスタイルを作った。

海外公演は、ドイツ、アイスランドニュージーランド、韓国。

世界で初めて、古楽器によるオイリュトミーを披露する。
最近は、オイリュトミーをより自由な表現にした生楽舞を舞う。

武久源造とその仲間たちによる、多次元的アートプロジェクト舞台藝術表現、ムジカ・ムンダーナを主催する。
“魂の変容"を植物との関連で研鑽中。


オリジナルインナーチャイルドワーク、レインボーDUOワークセミナー開催
DUOワークセッション

オイリュトミーワークショップ
生楽舞公演

 

 

 


Eurythmy by Nari Kim / Speech by Mugihito 2008

 

 

 


清水 茂 氏(フランス文学者、詩人) 批評

緩やかな動きが風のように渦巻きながら上昇し、頂点に達すると、絶対の沈黙が一瞬支配し、つぎにはそこから光が降り注いでくる。上下と左右との交互の移行、ときに激しく、また緩やかに、あたかも舞踏のような、――そんな音楽空間をビーバーのヴァイオリン曲は展開してみせる。作品の主題が仄めかす『聖書』による解題は措くとして、これは何を語っているのか、何を示しているのか。こう自問するとき、論理的、概念的思考によっては理解できないままに、それでも感性は問いかけに呼応する。

たぶん外的な諸々の事象に対応する思惟や個別の感覚を超えて、その奥にある、謂わば内面の扉のようなものがそのとき開かれるからだ。何処にむかってか。おそらく、宇宙の根元であるところにむかって。そして、宇宙のリズムであるものが、開かれたこの扉を通って、私たちの内部に浸透し、なお個別のものである私たちの存在をその様態のままに保ちながらも、すでにすべてであるものと融合させる。これは真にすぐれた芸術表現の特質ともいうべきものだ。いつからか、私たち人間がこの宇宙には私たちだけしか存在しないかのように振る舞うまでになったその尊大さが、この瞬間にうち砕かれて飛散する。そして、私たちは他ならぬ大きな宇宙の一部分であることを、もう一度改めて確認することになるのだ。それもみごとに洗練されたフォルムに触れることのよろこびをもって。音楽、ことば、そして身体表現。私はかつて観た金南里と金三貴によるオイリュトミーの舞台を想い起こしているのだ。

すべてが一体化しての、動き。その動きは、また、ときとして、幻想の鳥の飛翔、または自然の風の身振りともみえる。重力の掟から解き放たれた軽やかさだ。またしても、この舞台に接することができると思うと、この重い、好ましからぬ時代にあってはきわめて稀なよろこびの機会の訪れが待ち遠しい。

 

 2005年 オイリュトミールイズ公演『ロザリオ』によせて