その先に
“今ここ”この瞬間を感じていますと、
自分を取り巻いている波動の波を感じるでしょう。
無限なる宇宙の源、ソースエネルギーと同調して、その波動を感じます。
身体の60兆もの細胞は、私の関与なしにも宇宙の深遠なエネルギーと交流しています。体とともに生きて呼吸していることは、宇宙とともに呼吸しています。
エネルギーは波動であり、愛と光です。
思考も言葉も光の波動。
私が思考すると、宇宙も同時に思考します。
私が花を見ると、宇宙も同時に花を見ています。
宇宙は、人間とともに創造しています。
私が悲しむと、宇宙も同時に悲しみます。
私が喜ぶと、宇宙も同時に喜びます。
私がポジティブに人々を見ると、人々にポジティブの波動が届きます。
私が自分をポジティブに見ると、明るさの波動が広がります。
私が発する言葉は、波動の光となります。
私が思考する願いは波動となり、光となり、次元を超えて創造されます。
私の願いは、私の喜び、宇宙の喜び。
喜びの波動は、光り広がります。
その先に願い求めるものは、“今ここ”にあるのです。
愛と光と感謝
願いのうちに生きて創造します。
願い
小学高学年の頃、死にたいと思っていたことがあります。
そう思うときはよく突然意識が飛んで眠気のようなものに見舞われて、
意識がどんどん広がり、自分の体が拡大していきました。
どんどんどんどん拡大して、宇宙と同化していくような心持ちになりました。
そして、私の存在が無限な存在であること、終わりがないことを知りました。
たとえ肉体の死を経ても、終わりがないことを知りましたので、
それ以降は死にたいと思わなくなっていました。
物質の世界で疲れたあとは、眠りにつくことで癒されていることも知りました。
子どもの私には、人間の誰かが助けてくれると思えず、
それよりも、目に見えない大いなる存在とのつながりが慰めでした。
私が物質の世界で生きることは、「願い」が根底にあることを教えられました。
その「願い」とは、
無限な創造の根源の「願い」であることを、感覚的に感得しました。
生きているとは、あらゆるものたちの支えがあり、
途切れることのない生命の中にあることでした。
とてつもない意識の広がりが、物質の身体に戻ると、
個になった自分の身の小ささになって別世界に舞い戻ったようでした。
このギャップを何度も何度も繰り返してきました。
最近になって、忘れてしまった「願い」に意識が向いている自分に気づきました。
生きとし生けるものすべてに、「願い」が生きていることを。
すべてなるものの創造の源、ソースの発露である人間には
自らの願いを創造することができることを、
喜びの波動を放つことを、
宇宙の創造の一部となることを、
願いとともに、あるのです。
生きとし生けるものすべてが幸せでありますように
瞬間に感謝
人生終盤にあって、振り返りますと、すべてが奇跡であり感謝でした。
すべてが完璧でした。
完璧でなかったものは、私のエゴでした。
子どもを育てるときに、無意識な部分は自分が育てられたように育ててしまいます。
意識的に取り入れた食育のことや、シュタイナーの「生きる意志を育てる」教育のあり方には今も感謝していますが、
最も大切なことが見えてませんでした。
「子どもの気持ちを尊重して聴くこと」です。
保護を必要とする年頃の子どもにとって、親は絶対的な存在になってしまいます。
その親が、
「今、どんな感じ?どんな気持ち?どうしたい?」
子どもは自分の気持ちを尊重して聴いてもらえると、あるがままの自分を受け止めてもらえたという体験により、自分を信じ認められるようになります。
何かを決めるときも、子どもの気持ちを尊重しますと、それは“愛”なので家族のありようがぶれません。
親は、瞬間瞬間を感謝しますと、そこにエゴは働かなくて、
瞬間瞬間が愛になります。
愛でなかったことで、気持ちを出せずにいたことで痼りになったことは、子どもが大人になって、「問題」となります。
一人ひとりの命を神の命と思い、子育てさせていただきますと、
子育ては、素晴らしい宝の機会を与えてくれていると感得します。
瞬間瞬間に感謝しますと、エゴは浄化され、喜びの果実を受け取るでしょう。