朝の光
朝陽の見えるところで隠れ家的に暮らしてます。
なぜ隠れ家的と言いますと、この街は山あり川あり海あり温泉ありと、とても素晴らしいのに、とても寂れてしまっているからです。
お店もほとんど開いてません。私は毎日曜日の朝市を楽しみにしていてそれがちょうどいいのです。
ここほど日常の中で瞑想に集中できるところは他になかったので、好ましい表現は隠れ家的なのですね。
小鳥たちの囀りを友として、清らかな川のせせらぎに耳を澄ませ、
木々の芽吹きを日々堪能しつつ、山々の稜線を仰ぎ見て、
毎朝、日の出とともに目覚めます。
朝の光は感謝そのもの。
もうじき、そろそろ、活動を開始しても良さそうな予兆があります。
久しくレインボーDUOワークしてませんが、
遠方の方からの開催希望お声がけがちらほら届いて、
眠っていた細胞が呼び醒まされているようです。
そこへきて、ハワイとのご縁が再び始まります。
今迄、離れていたものが、つながります。
光の細胞が、呼び醒まされていくでしょう。
。
満たされぬ想い
「かつての恋人を思い出し満たされぬ想いでいるのはどうなのでしょうか?」
「それは投影かもしれませんね」
「あなたの子ども時代に、満たされた体験がなかったことがあなた自身の奥深いところで痼りとなっています。痼りは、寂しさや悲しみが吐き出せずにぎゅっと固まってしまったエネルギーです」
「ひいてはその痼りが癒されないままでいますと、恋人との関係を長続きしないままになります。恋人によって癒されるというより、安心した関係になりますと、その痼りとなった傷がなんとかしてほしいと相手に求め出します。そして関係が悪化します。しかし、離れると当初の求める気持ち(満たされたいという気持ち)が再び疼くのです。
記事
「記事を書いてくれ」
「記事?」
「そう、ブログのこと」
「なるほど、ブログ=記事ね。OK^_^」
ーー
どこからともなくかつての友人がメッセージしてきた。
自分の独り言をブログに綴ると“記事”になるという。
そう、一人ひとりは語ることにおいて、自らが内面に映し出していた世界が
外に開示されるのである。
R.シュタイナーの言葉にもあるように。
「Mensh,Rede,und du offen wahrest durich dich.
Oh,Mensche,wenn du redest」
「人間よ、語れ、そうすれば世界はあなたを通して開示するであろう。
おお、人間よ、あなたが語るならば」
オイリュトミーで何百回と動いたこのマントラが今も心身に染み付いている。
人生の一瞬一瞬で、何を語るだろう。
私は私自身も知らないその瞬間に自らが立ち会うことを意識する。
多次元ともいい、高次の自我、ともいい、ハイヤーセルフ、ともいい。
はたまた多重人格とも、いい、、、、
宇宙はあなた方を通して、宇宙自らを開示するのであろう。
一つとして同じものはない、ありよう。
その自らのありようを愛で慈しむこと、
それは、ある意味、自己外化された、意識魂のありようにも通ずるだろう、か。
生きとし生けるものすべてが幸せでありますように
愛と光と感謝をこめて
。