ポジティブで前向き
次元上昇している感じを実感するのは、
『今ここ』の意識で自分自身の波動を感じることによって、
その感じが、何かとてつもなく至福に満ちた感じになっていると、
その波動の中では、宇宙の源とひとつであることなのです。
それは瞑想していなくても、目を開けた状態でも感じられるでしょう。
その感覚を覚えて、いつでもそこに『今ここ』にあることを選択します。
そして、ポジティブで前向きな思いをクリエイトします。
その至福に満ちた波動の中でイメージすることと、それがどんな感じかを覚えます。
物理的に目に見えるのがいつであるかよりも、すでにそうなっている感じに浸ります。
それが浄化の方法として、とてもパワフルであることを知るでしょう。
本当の自分、この地球上でどうありたかったかを、生まれる前に決めてきた、その願いを思い出します。
今までの自分の歴史は、もう戻らないのです。川の流れのように過ぎたものに執着すれば、流れに逆らうことになり、苦しみます。
この大宇宙の大いなる愛の流れに任せて、ポジティブで前向きな思いで楽しみます。
会いたい人に会い、好きな音楽を聴き、行きたいところに行き、身体が欲するものをいただき、心に正直にあることは、愛の状態にシフトします。
あるがままの自分のありようを尊重しますと、他の人のありようも尊重できるでしょう。一人ひとりが、宇宙であるかのように、全く異なる個性であることを尊重しますと、心も軽くなるでしょう。
樹木の葉っぱがそれぞれ異なるフォルムであり多様でありながらも、その枝や幹を通して、大地のエネルギーを吸収して育っているように、
多様な個性でありながら、ひとつにつながっていることを知っています。
ポジティブで前向きな思いをしていますと、同じようにポジティブで前向きな思いの人々に出会っていきます。
木々の葉の芽吹くさまや、葉っぱの紅葉してゆくさま、花々の蕾が開花してゆくさまの美しさに感動するように、
『今ここ』の美に、自分の中にある美しさに感動します。
愛と光と感謝を込めて
濁りと妄想に気づく
大人の自分が、もし誰かといるとき、何処かの場所にいるとき、または独りきりのときに、
自分の中で、ネガティブな感情が出てきたら、
誰かのせいでも、状況のせいでもありません。
生まれ育った環境の中で、真実ではないもの、愛ではないものを体験しますと、それが“濁り”となり、潜在意識に定着します。
“濁り”は、エゴの餌となります。
それがフィルターとなり、物事や人間関係に投影されます。
ときには、そのフィルターにより、エゴが“妄想”します。
“妄想”により、真実が見えなくなります。
そして、心はとても苦しみます。
心が苦しんでいますと、さらにエゴは餌を求めて“妄想”します。
それは、身近な人のことや、大事な人間関係において強調されることになります。
真実の目で、相手を見れなくなりますと、その関係にヒビが入ります。
大事な人を、自分の“妄想”で傷つけてしまっていることに気づかず、まるで自分が被害者であるかのようになったりします。
ネガティブな思いや感情は、エゴの餌となり、そのままにしておきますと、エゴは拡大します。
大事な人との関係や仕事にも影響を及ぼし、さらなる苦しみを覚えます。
心と身体はひとつですから、
“濁り”と“妄想”は、身体の細胞に沈殿します。
本来の私たち一人ひとりは、本質は愛と光です。
綺麗に澄んだ水が汚濁しても、綺麗な水を注ぎ続ければ浄化します。
愛と喜びでないものは、真実ではありません。
『今ここ』の意識にあることは、本来の自分に目覚める一歩なのです。
愛と光と感謝をこめて
金南里
土台を変える
家を建てるのに一番大事なのは、土台です。建てる土地の地盤と基礎工事がしっかりしていれば、その上に建てられる家もしっかりします。
人生の土台は、お母さんの胎内に受肉してから、思春期までにできあがります。そのうち最も重要な土台の時期は、歯が生え変わる7歳頃までになります。
7歳頃までに、肉体の基礎ができあがると同時に、「生きる意志」が育ちます。
「生きる意志」を育てる力は、周囲の環境である両親の愛情です。
植物の種が、大地から芽を出して、太陽の光で成長するように、太陽のような両親からの無条件の愛で育てられますと、その子は何があってもへこたれない意志の力が土台になります。
いつも家の中に笑いがあり、お母さんお父さんが仲良くしていますと、それだけで子どもには、太陽の光の中にいるのです。
誰もが、この地球で喜びを生きることを望んでいます。自分の種には、何をして誰とどこで、その喜びを創造しシェアするのか、そのための才能も特質も、肉体の特徴もすべて備わっています。
太陽の光の愛情で育ちますと、あるがままの自分を認め、自分を愛します。愛で満たされていますと、愛の状態を引き寄せます。
しかし、ほとんどの家庭はそうではありませんでした。
それを悔やんだり、呪ったりしても何も変わりません。何百回ものカルマを通って、そのカルマを解消するための人生となる環境や両親を自分で選んで生まれてきたからです。
ではそのカルマのために、浄化するために酷い仕打ちを受けるのでしょうか?
今までの人類の意識の進化はそのように、相手からされたこと、自分がしたことが逆転してカルマは清算されていました。
しかし、進化のスピードが加速しているこの時代は、人々の意識が高まり、集合無意識にも変化が起きています。
人々の意識がスピリチュアルに目覚めて、地球の意識も変容しています。
人生の土台が一生を決めて、次の人生まで待たなければ変えられない土台が、この人生で変えることができるのです。
私たちの地球が、人間が自分の意識を変えようと思えば変えられる土壌
に変容しました。
それは、自らが自らに光を降り注ぐ太陽の光になることです。
私たちは毎日の睡眠と目覚めの度に、生と死を体験しています。
毎朝、生まれ変わり、新たな意識に目覚めます。
眠りにつく前にリラックスしながら瞑想し、
どんな自分になりたいか、ポジティブな自分の姿やありようをイメージして、そうなった自分の気分を感じます。
自分にご縁のある身近な人々にも愛と感謝を送ります。その人たちのポジティブな側面を見ます。
そのいい気分を味わい、感じることが、太陽の光になることを意味します。
“今ここ”の意識にいます。
そのいい気分を感じている幅が、今までの自分が無意識にしていたネガティブな感情よりも広がりますと、ポジティブな感情が優位になります。
そのためには日々の瞑想が欠かせません。瞑想こそは、無意識を超えた潜在意識に作用するものだからです。と同時に、眠りは、潜在意識の中にありますから、眠っている間に浄化されているのです。
瞑想をしなければならないのではなく、瞑想することによって意識が高まります。
眠る前の気分を創り、眠りに入り、朝、目覚めたときの感覚を感じます。
その感覚に、ネガティブな感情があれば、土台にある感情ですから、
瞑想して、いい気分になるイメージを育てます。
気分の良くなるイメージは、自分が人生でこうありたいという願いをたくさんイメージします。そしてそれをいい感じで味わいます。
そのときに、大事なことは、呼吸です。
ゆっくりした深い呼吸をします。その呼吸の中でいい気分を味わいます。
その気分は、まるで太陽の陽だまりにいるように心地よいものです。
本来の私たちは、そのような心地よい光なのです。
無条件の愛は、太陽の陽だまりのように心地よいのです。
私たちは、愛と光なのです。
生きとし生けるものすべてが幸せでありますように