言えない気持ち
大人になっても、大人になれない自分がいる感じはあるでしょうか?
自分にとってとても大切な人に、自分の本当の気持ちを言えないことがあるでしょうか?
言えないまま、そのことに触れないようにしている自分がいることに気づいているでしょうか?
とても大切な人との関係の中で、潜在意識に蓋をした気持ちが浮上する機会が訪れます。
子供のころ、特に9歳以前はまだ霊界とつながっていますから、そのころの子供の気持ちは純粋で、生きる目的を知っています。
その生きる目的という大事なことに関することで、どうしても親の協力が必要なことが生じた場合、
その気持ちを正直に親に言えて、それを親が聞いてくれたなら、
その子は親に丸ごと受け止められた感じがあり、
自分が自分の気持ちを大切にできる一歩となります。
しかしその大切な想いを、勇気を出して親に言ったものの、そのとき親が真摯に受け止めず、子供の気持ちを無視しますと、
子供は自分の気持ちに蓋をしてしまいます。
そして、自分の気持ちを表現することを安全と思えなくなり、そのまま大人になります。
大切な人間関係において、コミュニケーション不足で関係が壊れる場合、
お互いの内面の奥底で蓋をした自分の一部である、インナーチャイルドがいることが多々あります。
これに光を与えることで、本来の目的を思い出し、人間関係が喜びにつながります。
自分が本当はどうだったらよかったでしょうか?
どうしても手放せないものがあるとしたら、それは何故でしょうか?
8歳の頃の気持ちが、50年を経て浮上することもあります。
その蓋の下にしまい込んだ気持ちのエネルギーが生き続け、
その気持ちを本人が気づいて受け止められることを望んでいるかのように、
人生を大きく揺さぶり続けるのです。
生きとし生けるものすべてが幸せでありますように
金南里(きむ なり)プロフィール
東京出身。アメリカ、アイダホのVianna Stibal から、シータヒーリング®サイエンス®認定される。シュタイナーのオイリュトミーを笠井叡氏に師事し、オイリュトミストとして舞台活動及びクラスで教えている。Musica Mundanaメンバー。Nari Adventurous & Revolutionary Institute代表。
オイリュトミールイズ公演の主演、振付作品「天使の悲歌」「薔薇の杯」「宮沢賢治へのオマージュ」「ロザリオ」その他。世界で初めて、ビーバーの難解な曲を作品にし、古楽器演奏名手たちとの共演を続ける。
私、金南里は、画家、オイリュトミスト、舞踊家、ヴィジョン心理学、ハコミセラピー、ファミリーコンステレーション、ファミリーカウンセリング、クリスタルレイアウトヒーリングを通して、人間、宇宙、自然界の神秘の内奥に導かれました。芸術家の感性で、クラスを愛と光の波動に導きます。
“心のエステティシャン”金南里の個人セッションで、本来の自分(ワンダーチャイルド)を取り戻して、幸せな人生を楽しんでください。金南里は、様々なセラピーやヒーリングの手法を超感覚的に使いこなし、クライアントさまの心と体を癒すお手伝いをします。
金南里オリジナル『レインボーDUOワーク』は、インナーチャイルドの心に寄り添い、言えなかった気持ちや聞いてほしかった想いに気づきを呼び覚まします。‘気づき’そのものが癒しとなり、細胞の波動を浄化します。
宇宙、人間、自然をスピリチュアルな観点で見つめることを日課にし未知の分野を見出し研鑽することを楽しんでいます。好きな言葉は「Be Heart」。
主な活動
主な主催公演・振付作品
- 天使の悲歌/オイリュトミールイズ主催
- 薔薇の杯/オイリュトミールイズ主催
- 宮澤賢治へのオマージュ/オイリュトミールイズ主催
- ロザリオ/オイリュトミールイズ主催
- ムジカムンダーナのバッハ/musicamundana 主催
- 『新 バロックの実演』CARAVAGGIO /musicamundana主催
- 他
世界で初めて、古楽器(武久源造、桐山建志)によるオイリュトミーを披露する。最近は、オイリュトミーをより自由な表現にした生楽舞を舞う。“魂の変容”を植物との関連で研鑽中。
金玲希、キムヨンヒ、福峰有梨は、金南里(Kim Nari)の旧名です。
東京 及び ニュージーランド 在住
低級霊の現れ方を
ある人が、普段は温厚で優しいのに、ある特定の人に対して、ある特定のことに触れたときに浮上する感情がネガティブなものであるとき、
そこに現れているのが、その人とともに生きている浮遊霊であることを、
心に留めますと、そのありようを客観視できるでしょう。
その具体的なありようと対処法、光の当て方について書き続けるのですが、
ここでこの続きを語ることは、書き手である私個人にとって安全ではないそうなので、ここでこのブログでこれについて語ることをやめます。
新たな場は、匿名ないし別名で始めることになりますので、辿り着かないかもしれません。ご不便をおかけしますこと、心よりお詫び申し上げます。
結論だけお伝えしますと、
「喜びでないものは真実ではない」「真実は喜びとともにある」ということです。
この言葉をナビにして、別なブログでこの低級霊について綴ろうと思います。
何か自分や自分の周りで、おかしな場面に出くわしたら、「これはおかしいぞ」と言います。
私たちの脳は、幻想を生きていることがあるからです。
「今ここにある」今この瞬間を意識的に感じることで、幻想や亡霊から自由になる土台を作ります。
物質界に生きていることの重要性を、あの世に行って知るのではなく、今知ります。
自分を誰よりも愛することの重要性を、今知ります。
内にあるものは、外に現れます。
自分がまるごとの自分を愛しますと、あらゆる縛りから自由になります。
誰もが、愛と光です。
誰もが、生き神さまです。
皆さま、どうぞご自愛くださいませ。
自分に感謝してくださいませ。
自分を尊び、慈しんでください。
生きとし生けるものすべてが幸せでありますよう
愛と光と感謝を込めて
低級霊と言われているもの
目に見える世界のことも、目に見えない世界のことも、
砂つぶほども知る由もないのですが、
私自身の中で感得し、紐解いていることを書き記しておこうと思います。
自分自身を取り巻く世界で、特に家族とのつながりは密接です。DNAを共有しているだけではなく、
家族の体は、家族が生きてきた間に影響された諸々のエネルギーともつながっているからです。
それについては、ファミリーコンステレーションが教えてくれています。
家族の一人がどのような人生を生きたか、どのような思いや感情を持ったか、それらはまるで生き物のようになって生きているのです。
家族の一人が、自分を犠牲にして我慢し続けると、そのエネルギーは痼りとなって、自分自身の体を蝕みますが、
その痼りは、家族の体にも影響を及ぼすことになります。
自分自身を犠牲にして、他者のために生きると、それは真実の愛ではなく歪んだ愛として生き続けます。
その歪みは、インナーチャイルドの嘆き悲しみ怒りであることがあるのです。
エゴのことを利己的とか、欲望とか言って低い次元のものと捉えがちですが、
エゴのほとんどはインナーチャイルド、忘れられた傷ついている記憶の中の子供時代の自分の一部、であることを認識しますと、
自分だけでなく他者のエゴにも理解することができるようになります。
何よりも自分自身のありようを内的に気づきますと、自分がそのままの自分を受け止めることができるようになりますので、楽になります。
しかしここではさらに踏み込んで、霊として生きているエネルギーのありようを、その及ぼす様々な影響を見ておきたいと思います。
次元は幾重にも重なっています。
多次元に生きていることを物質界にいながら認識することはできるでしょうか?
その認識、自由であることの認識を阻んでいるものの一つに、低級霊との縛りがあります。
低級霊と言いいますと、聞こえが悪いのですが、いわゆる成仏していないで彷徨っている霊、浮遊霊を意味します。
続く