記事
「記事を書いてくれ」
「記事?」
「そう、ブログのこと」
「なるほど、ブログ=記事ね。OK^_^」
ーー
どこからともなくかつての友人がメッセージしてきた。
自分の独り言をブログに綴ると“記事”になるという。
そう、一人ひとりは語ることにおいて、自らが内面に映し出していた世界が
外に開示されるのである。
R.シュタイナーの言葉にもあるように。
「Mensh,Rede,und du offen wahrest durich dich.
Oh,Mensche,wenn du redest」
「人間よ、語れ、そうすれば世界はあなたを通して開示するであろう。
おお、人間よ、あなたが語るならば」
オイリュトミーで何百回と動いたこのマントラが今も心身に染み付いている。
人生の一瞬一瞬で、何を語るだろう。
私は私自身も知らないその瞬間に自らが立ち会うことを意識する。
多次元ともいい、高次の自我、ともいい、ハイヤーセルフ、ともいい。
はたまた多重人格とも、いい、、、、
宇宙はあなた方を通して、宇宙自らを開示するのであろう。
一つとして同じものはない、ありよう。
その自らのありようを愛で慈しむこと、
それは、ある意味、自己外化された、意識魂のありようにも通ずるだろう、か。
生きとし生けるものすべてが幸せでありますように
愛と光と感謝をこめて
。
つぶやき
波動が上がると、過去のことは幻想になり、痛みも消えていく力となる。
または、この瞬間に意識を止めると、この瞬間だけを生きている。その意識に気づくと、それがパワー。
全て形あるものは過ぎ去るもの。
この瞬間に止める意識だけが無限。
自分がわくわくすることに意識を止めると、そこがいのちを持ち生き始める。行動あるのみ。
ネガティヴに意識を向けると、そこが拡大してしまうから、ポジティブに意識を向けることが大事。
怖れによる衝動は怖れを拡大させてしまう。
愛による衝動は、愛を広げる。
自分への愛、自分の直感を信じて、自分を喜ばせることに意識を向け行動すれば、
いのちが輝いていく。
その輝きは、光の柱となり、世界を光に変えていく。