レインボーDUOワーク®

自分と思っている自分が、本来の“私”から遠のいているとしたら、軌道修正します。レインボーDUOワークは、ネガティヴな部分に向き合い、ポジティブになる自分を育てます。

レインボーDUOワーク® セミナー開催します♡

★レインボーDUOワーク® 基礎セミナー2018       By 金南里

 

 内容  A「“今ここ”を生きる」講義と実習

          B「高みからの眼差し-植物との出会い」講義と実習

 

日時  A 2018年12月22日(土)〜24日(月祝) 3日間

         B  2018年12月26日(水)〜28(金) 3日間  

         10:00〜17:00 (休憩、ランチ休憩含)

場所   “中野サロン”  東京メトロ 丸の内線「新中野」徒歩6分 

(参加者少数の場合はご希望で、“千駄木駅2分の“アトリエ谷中”での開催も可能です)

費用  A、B 各55,000円、  A+B 100,000円

定員  各5名

お申込み、お問い合わせ メール  

  rainbowduowork@@gmail.com (@を1つ外してご送信くださいませ)

☆参加条件なし。ABどちらからでも受講OK。

 

 

インナーチャイルドワーク=レインボーDUOワーク®=エゴの浄化=魂の成長

 
レインボーDUOワーク®という名前の由来は、
 
まず、小文字のduo(デュオ)
大人の意識の自分と、傷ついた記憶の中の幼い頃の自分とのデュオとしてワークします。
 
その方のインナーチャイルドを癒すことが成立するには、その方が自分のインナーチャイルドを観ること、感じることがまず第一に重要です。
そのため、デュオワークという名前です。
 
大文字のDUO(デュオ)は、小文字のduoワークを積み重ねていきますと、ある日、エゴを持たない本来の自分の存在に気づいていきます。
大いなる意識(神、創造主)とひとつの神聖な存在です。
 
この大文字のDUOワークが、あるべき姿になるワークです。
 
 
レインボーは、虹。
存在の根源の光が、ひとりひとりを通して顕われ出ます。それを虹として表現されています。
 
生きとし生けるものすべてが、神の一部であり、ひとりでも欠けることはありません。かけがえのない存在です。
 
 
二元性の世界で苦しみ続けてきた人類が、目覚めていきます。様々なモダリティ(様相)があります。
 
レインボーDUOワーク®は、自分自身が通ってきた人生で傷ついたときの蓋をした自分の本当の気持ちに気づきながら、DUOプラクティショナーの助けとともに、納得していきます。
 
そのように丁寧に扱ってもらえた感じがありますと、潜在意識に滞っていたエネルギーの一部は、光となります。
 
セルフ瞑想で届かない部分があるとしたら、そこは安心できる人にDUOワークで働きかけてもらいますと、やっと気づいてもらえたインナーチャイルドの気持ちに届くのです。
 
人はひとりではありません。DUOワークを通して、インナーチャイルドが受け止めてもらえたと安心して感じることができますと、それにより無意識のエネルギーであるエゴが溶けていきます。
 
それほどに、子ども時代の気持ちを尊重されることが大事なのです。
 
子どもは、“今、この瞬間”を生きています。「あとで」「前に」はないのです。
 
親に今の気持ちを聞いてもらえるだけで、子どもは納得します。
 
乳幼児保育で、生後数ヶ月で他人に預けられますと、安心した関係から離れていきます。安心した関係は、自分を丸ごと受け止めてくれる親です。
 
しかし、親がそばにいても、泣いても放って置かれたり、夫婦喧嘩したりしていれば、安心した関係から離れます。
 
3歳までの乳幼児にとって、最も重要なことは、安心できる大人がそばにいることです。それが人生の安全基地である土台となるのです。
 
「三つ子の魂百まで」
 
DUOワークを受けた方々は、この言葉の意味を実感します。そして、子育てを大切にしています。
 
傷ついた記憶の中の自分のインナーチャイルドを癒すことは、愛の存在である本来の自分の意識を取り戻すことでもあります。
 
生きとし生けるものすべてが幸せでありますよう、お祈りします。
 
 
 
愛と慈しみをこめて
 
金南里

 

自分らしく、あるがまま

自分らしくいられるって、どんな感じですか?

 

自然体のあるがままの自分を愛してますか?

 

愛ってどんな感じ?

 

愛はリラックスして心地よくて、そのままで満たされています。

 

そうでないときは、どこか無理している部分の自分がいると思って、

 

自分が自分の感じがどんな感じか、意識します。

 

独りでいるときが一番リラックスできるとしたら、

 

独り以外の、誰かがいると、気を遣ってしまってませんか?

 

そうだとしたら、そのやり方はいつからそうしていますか?

 

パートナーに愛されたいと無意識に思って頑張ってしまってませんか?

 

親に認められたいと無意識に思って、頑張ってませんか?

 

優等生にならないと自分には価値がないと無意識のうちに思い、頑張ってませんでしたか?

 

家を綺麗にしてからでないと自分のやりたいことに専念できないで自分のことを後回しにしてませんか?

 

誰にも気を遣わずに無邪気にあるがままに楽しんでリラックスしていたのは、いつまででしたか?

 

もう頑張らないで、と身体は悲鳴をあげてませんか?

 

いつそのやり方を覚えたでしょうか?

 

そうして思い出される場面や状況があったら、その頃の自分の声を聞いてあげます。

 

そして本当はどうだったらよかったか?その気持ちを感じてあげます。

 

そのお手伝いをします。

 

レインボーDUOワークしませんか?

 

 

愛と光と感謝をこめて

 

金南里

 

東京セッション、スカイプセッションのご予約は、メールでお願いします。

rainbowduowork@@gmail.com (@を一つ外して下さい)

 

 

過酷な人生を選んだツインソウルたち

ひとつの魂が輪廻転生しながら、

 

自己の成長を遂げてゆくありようが、

 

ひとつの魂がふたつに分かれて、同時に人生を生きるとしたら、

 

それは何のために?

 

カルマは、人にされたことは、相手に還えり、

 

 人にしたことは、相手からされるように、前世のツケを払うようになると言われてます。

 

今生においても然り。人生を鳥瞰すると、

 

エゴが無意識に相手を傷つけたことは、別な形でその相手の気持ちを味わうことがあります。

 

自分の内面に向き合い始めますと、瞑想やワークを通して、

 

その気づきが早まり、魂を成長へと導きます。

 

ツインソウルの魂たちは、一度の生でより深い成長を遂げようと

 

敢えて過酷な人生を選んできました。

 

それもわざわざ自らの魂を分けてまで。倍倍速にしてまで、

 

今生でやり遂げることを設定してきたということになります。

 

ひとつの魂がふたつになっているのです。

 

太極を生き、お互いの存在が魂の片割れであると見えないけれども、

 

他にはないエネルギーを感じ、それが特別なものであると気づきます。

 

気づきながらも過酷な人生は続いていきます。

 

しかし後半では、その気づきが、それぞれの魂の励みになります。

 

励みとは、期待せず求めず、

 

ひたすら自らのエゴを浄化するという選択になりましょう。

 

それが、無償の愛、真実の愛に至る道のりとなり、

 

ツインソウルたちの愛の波動は、地球の波動を高め、

 

愛と癒しをもたらすでしょう。

 

 

 

 

 

生きとし生けるものすべてが幸せでありますように

 

 

 

 

 

ツインソウル

ツインソウルというのは、

 

生涯で出会うことがあれば、たったひとりの魂の片割れです。

 

一緒になる瞬間だけひとつのエネルギーになります。

 

そのひとつになったエネルギーは、

他の人とは生まれないエネルギーなくらい、完璧です。

 

至高の愛、祝福と感謝が、

 

ひとつのエネルギーです。

 

 

 

それが離れた瞬間から真逆、極になりますから、

 

またそれがひとつになるには長くかかるのです。

 

極は極を求めますから、

 

深いところでは、常につながっています。

 

しかし物質界では、多くの葛藤があるので、

 

ツインソウルが物質界でパートナーシップを築くことは稀で、

 

成就できたとしても、人生の後半になるでしょう。

 

 

対極としての片割れは、孤独になることを選ぶか、

 

ツインソウルではない、ソウルメイトと一緒になります。

 

しかし一旦、出会ったツインソウルは、人生そのものが出会うべくして、

 

出会うようになっています。

 

それは、人生の目的と一致しているからです。

 

 

 

孤独な自立、生まれてきた目的、

 

内なる神とひとつになって、

 

自立し、創造行為を深めていくというところで、

 

再び対極である、

 

片割れの魂とひとつになるよう、魂が成長するのです。

 

 

 


ツインソウルでないパートナーとは、

 

子どもを授かることで、成長の機会や喜びを与えられます。

 

しかしエゴを持った人間はそのありがたみがなかなかわからないまま、お互いに傷つけ合います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



高みとは何でしょう?②

画家は、花なら花をそのあり姿を感じ、佇まい、色合い、匂いや

 

花びらの曲線の優美さを感じます。

 

花を観ている自分の感じが、観ていることで、

 

観ていないときの自分と違う、ある感覚を覚えます。

 

それを、紙やキャンバスに思い描きます。

 

描くながら、そこに現れてくる線や色、目に見えるものと、

 

自分が感じた、感動したものと一致するまで、

 

何度も何度も、キャンバスと対話します。

 

その間にも、キャンバスの向こうから、今まで感じたことのない世界を

 

垣間見るのです。

 

描く行為を通して、観る行為を通して、

 

さらに自分の内面で、すでに知っている感覚、納得のいくところまで追求する行為、

 

そのプロセスは、高級霊ハイヤーセルフとの対話であり、

 

すでに在る、本来の自分との結合でしょう。

 

今ここ、この瞬間を感じます。

 

時空間を超えた、静けさのスペース、

 

「ある」

 

 

感謝

 

喜び

 

 

創造

 

 

 

 

 

生きとし生けるものすべてが幸せでありますように

 

 

高みとは何でしょう?

高みとは何でしょうか?

 

楽家は、より美しい音を求めて日夜努力します。

 

そのときは、普段使わない感覚を研ぎ澄ませます。

 

日常生活で使う感覚をさらに超越します。

 

超感覚を使い、それが高みを目指します。

 

与えられた感覚器官を使い、さらなる高みに進化させることができるのは、

 

自分しかいません。たった独りの作業です。

 

しかし、その作業そのものが、高級霊との対話となるので、

 

高級霊とのDUOとなるので、孤独ではなく、むしろ至高の喜びを感じます。

 

至高の喜びとともに、高い波動を獲得したものは、

 

それを物質界に降ろします。

 

その人を通してもたらされた、

高い波動は人々に潤いを与え、浄化を呼び覚まします。

 

 

 

 

 

 

 

生きとし生けるものすべてが幸せでありますように

 

 

 

 

高級霊との対話

低級霊について語ることは、歪んだエネルギーの影響を及ぼすので慎重である必要がありここでは控えてます。

 

高級霊については、大事なポイントなので語っておこうと思います。

 

私たちの意識の及ぼないところで霊はともに生きています。

 

そのひとつの顕われとして、

 

その人の生きる目的、この地球上に生まれてきた目的を生きていますと、

 

そこに働いているのが高級霊になります。

 

様々な言い方がありますが、低級、高級と表現すると、その波動の高さ低さが区別できるので、ここではそう表現しています。ハイヤーセルフとも言います。

 

同じ人間が、何をしているかで別人のようになります。オン、オフ、とも表現できると思いますが、

 

例えば、音楽家が一心に音楽を奏でているときは、オンの状態でそこでは高級霊が生きています。

 

その同じ人間が、オフのとき日常生活を過ごしているときは、その高級霊はつながっているけれども働いていません。

 

もしこの人が高級霊から離れ、自分の生きる目的から離れていますと、波動は下がり生きる気力が失せて行くでしょう。

 

逆に言えば、高級霊を中心に生きますと、波動は上がりエネルギーが満ちてきます。

 

そして生きる喜びを感じるとともに、そのエネルギーは心地よく周囲に広がります。

 

誰の中にもある《種》は、輪廻転生を繰り返しながら成長していると言われています。

 

楽家は、音楽の種を持って何十回も音楽家としての経験を積みます。

 

子供の頃から自分で決めてきた道を生きられる人は幸いです。

 

しかし、親の言われるままに過ごして来ざるを得なかった人は、自分が何をしていいのか自信を持てません。

 

目的や目標がないままに惰性で生きるようになり、膨大なエネルギーを浪費してしまいます。

 

その只中にいるので、自分でも気づかないでいます。

 

自分の真実から、中心から外れて気づかないでいますと、様々な気づきを起こすことがあります。

 

病気や人間関係、仕事や家族関係など、大事なポイントで目覚めを促すことが生じるということがを、覚えます。

 

誰の中にも生きている高級霊と対話するのは、自分自身です。

 

何百年ぶりにこの地球上に生まれて、どんな高みを目指したかったのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

生きとし生けるものすべてが幸せでありますように

 

 

 

 

言えない気持ち

大人になっても、大人になれない自分がいる感じはあるでしょうか?

 

自分にとってとても大切な人に、自分の本当の気持ちを言えないことがあるでしょうか?

 

言えないまま、そのことに触れないようにしている自分がいることに気づいているでしょうか?

 

とても大切な人との関係の中で、潜在意識に蓋をした気持ちが浮上する機会が訪れます。

 

子供のころ、特に9歳以前はまだ霊界とつながっていますから、そのころの子供の気持ちは純粋で、生きる目的を知っています。

 

その生きる目的という大事なことに関することで、どうしても親の協力が必要なことが生じた場合、

 

その気持ちを正直に親に言えて、それを親が聞いてくれたなら、

 

その子は親に丸ごと受け止められた感じがあり、

 

自分が自分の気持ちを大切にできる一歩となります。

 

しかしその大切な想いを、勇気を出して親に言ったものの、そのとき親が真摯に受け止めず、子供の気持ちを無視しますと、

 

子供は自分の気持ちに蓋をしてしまいます。

 

そして、自分の気持ちを表現することを安全と思えなくなり、そのまま大人になります。

 

大切な人間関係において、コミュニケーション不足で関係が壊れる場合、

 

お互いの内面の奥底で蓋をした自分の一部である、インナーチャイルドがいることが多々あります。

 

これに光を与えることで、本来の目的を思い出し、人間関係が喜びにつながります。

 

自分が本当はどうだったらよかったでしょうか?

 

どうしても手放せないものがあるとしたら、それは何故でしょうか?

 

8歳の頃の気持ちが、50年を経て浮上することもあります。

 

その蓋の下にしまい込んだ気持ちのエネルギーが生き続け、

 

その気持ちを本人が気づいて受け止められることを望んでいるかのように、

 

人生を大きく揺さぶり続けるのです。

 

 

 

生きとし生けるものすべてが幸せでありますように

 

 

 

 

 

金南里(きむ なり)プロフィール

東京出身。アメリカ、アイダホのVianna Stibal から、シータヒーリング®サイエンス®認定される。シュタイナーのオイリュトミーを笠井叡氏に師事し、オイリュトミストとして舞台活動及びクラスで教えている。Musica Mundanaメンバー。Nari Adventurous & Revolutionary Institute代表。

オイリュトミールイズ公演の主演、振付作品「天使の悲歌」「薔薇の杯」「宮沢賢治へのオマージュ」「ロザリオ」その他。世界で初めて、ビーバーの難解な曲を作品にし、古楽器演奏名手たちとの共演を続ける。

私、金南里は、画家、オイリュトミスト、舞踊家、ヴィジョン心理学、ハコミセラピー、ファミリーコンステレーション、ファミリーカウンセリング、クリスタルレイアウトヒーリングを通して、人間、宇宙、自然界の神秘の内奥に導かれました。芸術家の感性で、クラスを愛と光の波動に導きます。

“心のエステティシャン”金南里の個人セッションで、本来の自分(ワンダーチャイルド)を取り戻して、幸せな人生を楽しんでください。金南里は、様々なセラピーやヒーリングの手法を超感覚的に使いこなし、クライアントさまの心と体を癒すお手伝いをします。

金南里オリジナル『レインボーDUOワーク』は、インナーチャイルドの心に寄り添い、言えなかった気持ちや聞いてほしかった想いに気づきを呼び覚まします。‘気づき’そのものが癒しとなり、細胞の波動を浄化します。

宇宙、人間、自然をスピリチュアルな観点で見つめることを日課にし未知の分野を見出し研鑽することを楽しんでいます。好きな言葉は「Be Heart」。

主な活動

  • レインボーDUOワーク®セミナー
  • レインボーDUOワーク®個人セッション
  • レインボーDUOワーク講義
  • オイリュトミーワークショップ
  • 生楽舞(C’est la vie)公演
  • 絵の個展と古楽コンサート

主な主催公演・振付作品

  • 天使の悲歌/オイリュトミールイズ主催
  • 薔薇の杯/オイリュトミールイズ主催
  • 宮澤賢治へのオマージュ/オイリュトミールイズ主催
  • ロザリオ/オイリュトミールイズ主催
  • ムジカムンダーナのバッハ/musicamundana 主催
  • 『新 バロックの実演』CARAVAGGIO /musicamundana主催

世界で初めて、古楽器(武久源造、桐山建志)によるオイリュトミーを披露する。最近は、オイリュトミーをより自由な表現にした生楽舞を舞う。“魂の変容”を植物との関連で研鑽中。

金玲希、キムヨンヒ、福峰有梨は、金南里(Kim Nari)の旧名です。

東京 及び ニュージーランド 在住

 

 

 

 

 

 

 

 

 

低級霊の現れ方を

ある人が、普段は温厚で優しいのに、ある特定の人に対して、ある特定のことに触れたときに浮上する感情がネガティブなものであるとき、

 

そこに現れているのが、その人とともに生きている浮遊霊であることを、

心に留めますと、そのありようを客観視できるでしょう。

 

その具体的なありようと対処法、光の当て方について書き続けるのですが、

 

ここでこの続きを語ることは、書き手である私個人にとって安全ではないそうなので、ここでこのブログでこれについて語ることをやめます。

 

新たな場は、匿名ないし別名で始めることになりますので、辿り着かないかもしれません。ご不便をおかけしますこと、心よりお詫び申し上げます。

 

結論だけお伝えしますと、

 

「喜びでないものは真実ではない」「真実は喜びとともにある」ということです。

 

この言葉をナビにして、別なブログでこの低級霊について綴ろうと思います。

 

何か自分や自分の周りで、おかしな場面に出くわしたら、「これはおかしいぞ」と言います。

 

私たちの脳は、幻想を生きていることがあるからです。

 

「今ここにある」今この瞬間を意識的に感じることで、幻想や亡霊から自由になる土台を作ります。

 

物質界に生きていることの重要性を、あの世に行って知るのではなく、今知ります。

 

自分を誰よりも愛することの重要性を、今知ります。

 

内にあるものは、外に現れます。

自分がまるごとの自分を愛しますと、あらゆる縛りから自由になります。

 

誰もが、愛と光です。

 

誰もが、生き神さまです。

 

皆さま、どうぞご自愛くださいませ。

 

自分に感謝してくださいませ。

 

自分を尊び、慈しんでください。

 

生きとし生けるものすべてが幸せでありますよう

 

 

愛と光と感謝を込めて

 

 

低級霊と言われているもの

目に見える世界のことも、目に見えない世界のことも、

 

砂つぶほども知る由もないのですが、

 

私自身の中で感得し、紐解いていることを書き記しておこうと思います。

 

自分自身を取り巻く世界で、特に家族とのつながりは密接です。DNAを共有しているだけではなく、

 

家族の体は、家族が生きてきた間に影響された諸々のエネルギーともつながっているからです。

 

それについては、ファミリーコンステレーションが教えてくれています。

 

家族の一人がどのような人生を生きたか、どのような思いや感情を持ったか、それらはまるで生き物のようになって生きているのです。

 

家族の一人が、自分を犠牲にして我慢し続けると、そのエネルギーは痼りとなって、自分自身の体を蝕みますが、

 

その痼りは、家族の体にも影響を及ぼすことになります。

 

自分自身を犠牲にして、他者のために生きると、それは真実の愛ではなく歪んだ愛として生き続けます。

 

その歪みは、インナーチャイルドの嘆き悲しみ怒りであることがあるのです。

 

エゴのことを利己的とか、欲望とか言って低い次元のものと捉えがちですが、

 

エゴのほとんどはインナーチャイルド、忘れられた傷ついている記憶の中の子供時代の自分の一部、であることを認識しますと、

 

自分だけでなく他者のエゴにも理解することができるようになります。

 

何よりも自分自身のありようを内的に気づきますと、自分がそのままの自分を受け止めることができるようになりますので、楽になります。

 

しかしここではさらに踏み込んで、霊として生きているエネルギーのありようを、その及ぼす様々な影響を見ておきたいと思います。

 

次元は幾重にも重なっています。

多次元に生きていることを物質界にいながら認識することはできるでしょうか?

 

その認識、自由であることの認識を阻んでいるものの一つに、低級霊との縛りがあります。

 

低級霊と言いいますと、聞こえが悪いのですが、いわゆる成仏していないで彷徨っている霊、浮遊霊を意味します。

 

続く

 

 

霊との対話

皆さんがどのようにお感じかわかりませんが、

 

は存在します。皆さんと共に生きています。

 

様々な霊がいます。

 

私は、ひとつの例えとして、ある霊についてお話しさせていただきます。

 

それは、レインボーDUOワークの真髄とも言える、

 

“忘れられた存在”に光をあてる

 

という愛の行為そのものだからです。

 

人生で不可解なことのひとつは、私たちと共に生きている霊を知らないことによることがあり、この霊との対話(DUO)により、謎が解けるのです。

 

R.シュタイナーの言葉に、

 

認識は光です。愛は、その熱です」があります。

 

忘れられた存在を認識することが、光であることの一例を、私なりに言葉にしたいと思い、この場を借りて綴ろうとしています。

 

これがどこまで続くかわかりませんが、また書けなくなるかもわかりませんが、今まで同様、私の元に降りて来るまま綴られると思いますので、

 

どうぞ皆さま、訳がわからなくてもまずはお読みいただければ幸いです。

 

 

金南里