「あえて問おう」後半部分より抜粋
およそ言語イメージと音のイメージは、
互いに反射を繰り返しながら、
作曲家と演奏家の創造性において化学反応を起こす。
それが演奏のプロセスであるが、その結果、
そのつど作品のイメージは聴き手の中で結晶化する。
結晶はもうそれ以上変化しない、
ポテンシャル・エネルギー・ゼロの状態に近づく。
それは生命の死に相当する。
しかし、音楽は死なない。
聴き手の中に新たな要求が産まれ、
エネルギーが補充される。
更なる創造的演奏が試みられ、
音楽は新しい系へと遷移する。
生命の再生である。
この不断の創造活動こそが、
音楽修辞学の要諦である。
この原音楽的創造の愉悦にこそ、
私が音楽をする理由と目的がある。
この公演では、
さらにこの原音楽的創造を、
体の動きを通して表現する。
キム・ナリとのコラヴォレーションがそれである。
「ひとりの人の胸の中には全人類の記憶が宿っている」とプラトンは言った。
我々もまたこのプラトンの言葉を信じて、
己の細胞に染み込んだ太古の記憶に分け入るならば、
そこにバッハに到る道を見出すことができる。
少なくとも私は、己が体験から、
そう確信している。
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