オイリュトミー
「オイリュトミーって何ですか?」
この質問は、舞台のたびに出される。
「見える音楽、見える言葉」と創始者ルドルフ シュタイナーは表現しているけれども、
その言葉の奥深さを語るには、真摯に聞いてもらえる場であることが大事だと思います。
正直、私はオイリュトミーから離れようとしている自分がいます。
神聖なる音楽の世界とひとつになるのを、
ただひたすら一心に耳を澄ませて聴いていたい。それに尽きると思うからです。
オイリュトミーは、その世界を、この肉体次元まで降ろし、筋肉や骨まで浸み込ませた上で、表現するため、
身体的な訓練が必須であるのと、
さらには、全身が耳になり、その音楽を奏でる楽器となるには、
奏でられる音色を共鳴させる私の霊魂体が、研ぎ澄まされ磨かれていることが必須であるのです。
楽器を調整するように、人間楽器の調整が必須であるのです。
若い頃は、動くことそのものが喜びでしたから、寄り道せずに来れたものの、
さらに意識の内奥に深化してゆくプロセスにあっては、
オイリュトミーそのものが、すなわち“課題”となって、
新たな局面に向かわせてくれている、
そういう心境であります。
愛と光と感謝をこめて