低級霊と言われているもの
目に見える世界のことも、目に見えない世界のことも、
砂つぶほども知る由もないのですが、
私自身の中で感得し、紐解いていることを書き記しておこうと思います。
自分自身を取り巻く世界で、特に家族とのつながりは密接です。DNAを共有しているだけではなく、
家族の体は、家族が生きてきた間に影響された諸々のエネルギーともつながっているからです。
それについては、ファミリーコンステレーションが教えてくれています。
家族の一人がどのような人生を生きたか、どのような思いや感情を持ったか、それらはまるで生き物のようになって生きているのです。
家族の一人が、自分を犠牲にして我慢し続けると、そのエネルギーは痼りとなって、自分自身の体を蝕みますが、
その痼りは、家族の体にも影響を及ぼすことになります。
自分自身を犠牲にして、他者のために生きると、それは真実の愛ではなく歪んだ愛として生き続けます。
その歪みは、インナーチャイルドの嘆き悲しみ怒りであることがあるのです。
エゴのことを利己的とか、欲望とか言って低い次元のものと捉えがちですが、
エゴのほとんどはインナーチャイルド、忘れられた傷ついている記憶の中の子供時代の自分の一部、であることを認識しますと、
自分だけでなく他者のエゴにも理解することができるようになります。
何よりも自分自身のありようを内的に気づきますと、自分がそのままの自分を受け止めることができるようになりますので、楽になります。
しかしここではさらに踏み込んで、霊として生きているエネルギーのありようを、その及ぼす様々な影響を見ておきたいと思います。
次元は幾重にも重なっています。
多次元に生きていることを物質界にいながら認識することはできるでしょうか?
その認識、自由であることの認識を阻んでいるものの一つに、低級霊との縛りがあります。
低級霊と言いいますと、聞こえが悪いのですが、いわゆる成仏していないで彷徨っている霊、浮遊霊を意味します。
続く