苦しみを通って
先のブログで、苦しみがないと書きましたが、苦しみがなくなれば解脱ですから、苦しみがないとは言えませんね。
潜在意識の奥底には、顕在意識では思いも及ばないエネルギーが満ち溢れていますから、
そのエネルギーが全て浄化されない限り、真の意味での解脱には至りません。
むしろ、苦しみのおかげで、“手放す”ことを知り、一皮一皮剥けたように思います。
苦しみに向き合うことで、意識的な浄化のプロセスとなりましたが、肉体とともに生きる限り、それはまだまだ続きます。
苦しみに反応せずに、あるがままにものごとを観察することを日常の暮らしで意識するようになっても、
深い瞑想状態に入りますと、感覚として感じる苦しみがあります。
長年の蓄積された心の汚濁です。
汚濁にまでなってしまったのは、人間関係で惹き起こされてきた“嫌悪”や“執着”の《反応》がエネルギーの痼りとなっているということです。
それらは肉体の細胞や血管、各臓器に低い波動として蓄積されているようです。一瞬一瞬の反応が、物質化しているのです。
それはある観点から見ますと、グロテスクでもあり美しくもあると思います。
一個の人間である私という現象が、いかに有機的な存在であり、多様で入り組んでいるでしょう。
気分によっては、一瞬で変化するのです。
その気分をポジティブにあるようにするには、瞑想が最適だと思っていますが、
音楽を聴いたりすることで、波動を瞬時に変えることもあります。
中でも古楽器の音色には、愛の周波数があるそうです。
音楽を聴いている瞬間瞬間は、感覚が開かれ“今ここ”に生きているのです。
生きとし生けるものが幸せでありますように