ある日、アーナパーナ瞑想していると、
意識が離れて拡大していきました。
座って、鼻口の辺りの呼吸に意識を集中している自分と、拡大した意識に気づいてました。
“仏陀の意識”とひとつであるという“気づき”でした。
そこは、生も死も、何も隔ててはいないという“気づき”でした。
生の世界で繰り広げられるあらゆる営みには、善も悪もなく、“ただあるがままである”ことが、わかりました。
と同時に、愛と許しに満たされていました。
瞑想する前に、もやもやしていた怒りに似た感情は消え、慈しみさえ覚えました。
“意識”の静けさは、平安そのものでした。
生きとし生けるものが幸せでありますように