人を表面から見ることはできない。自分をもである。
鏡に映っている自分は喜び輝いているだろうか?
今日一日道行く人々を見て笑顔の人を見ただろうか?
自分でも気づいていない悲しみが無意識の奥に鎮座しているとしたら、
無理に動いているその動きが心からでないとしたら、
自分はなんのために生きているのかわからなくなってしまったかもしれない。
身体は無意識とひとつ。
眠りとともに、蓋をした悲しみを癒すように、宇宙に飛んでいる。
でも、当人の意識がそれに気づかないままでいると、そのまま蓋の下にある
悲しみは、胸を押し潰されたように身体の悲鳴をあげている。
何か気力が出ない、真の喜びがない、
そういう状態であるなら、その蓋をしていることに気づくときである。
優しく親切にされていると思って感謝していたことが、
憎しみをともなっていたとしたら、それは愛ではないので体はノー
と叫んでいる。
愛でないものは受け取らないでと。