愛のインナーチャイルド革命 by NARI

自分と思っている自分が、本来の“私”から遠のいているとしたら、軌道修正します。レインボーDUOワークは、ネガティヴな部分に向き合い、ポジティブになる自分を育てます。

無気力の奥に鎮座する無意識の悲しみ

人を表面から見ることはできない。自分をもである。

 

鏡に映っている自分は喜び輝いているだろうか?

 

今日一日道行く人々を見て笑顔の人を見ただろうか?

 

自分でも気づいていない悲しみが無意識の奥に鎮座しているとしたら、

 

無理に動いているその動きが心からでないとしたら、

 

自分はなんのために生きているのかわからなくなってしまったかもしれない。

 

身体は無意識とひとつ。

 

眠りとともに、蓋をした悲しみを癒すように、宇宙に飛んでいる。

 

でも、当人の意識がそれに気づかないままでいると、そのまま蓋の下にある

 

悲しみは、胸を押し潰されたように身体の悲鳴をあげている。

 

何か気力が出ない、真の喜びがない、

 

そういう状態であるなら、その蓋をしていることに気づくときである。

 

優しく親切にされていると思って感謝していたことが、

 

憎しみをともなっていたとしたら、それは愛ではないので体はノー

 

と叫んでいる。

 

愛でないものは受け取らないでと。

 

 

 

変化

移行期は、ニュートラルな状態となり、シフトするという。

 

生まれる前に、自らが設定してきた人生路線。

 

振り返ってみれば、そのときそのときが精一杯の選択を生きていた。

 

感情の起伏を乗り越え、平安がある。

 

ご縁のある方々と歩んで生み出されたオリジナルインナーチャイルドワークである、

レインボーDUOワーク。

 

もはやそれも手放すときを迎えている。

 

かねてからの望みは、“存在することが癒し”となること。

 

ワークも何もしないのである。

 

あの、百済観音の立ち姿に見入ると

 

その優美な姿にただただ感動する。

 

すべてのフォルムが、広大で深遠な宇宙につながり

 

見ているだけで、それとひとつになるのを覚えた。

 

生きとし生けるもの、すべてはそのようなのであろう。

 

そのように、目の前にある人々や動物、植物、鉱物を見入ると、

 

生きていることの尊さにただただ感動する。

 

 

 

 

愛と光

 

感謝とともに

 

ある

 

 

 

 

 

 

幸せは、今ここに

幸せになることを求めて努力しても、幸せはやってくるものではないという

 

頑張れば頑張るほど、その頑張る自分を創造してしまう

 

一杯の温かいお茶を飲むとき、その一瞬の喜びを見逃さない

 

たとえ途轍もなく大きな問題を抱えていようと

 

この“今、ここ”のこの瞬間に意識を止めると

 

そこには、何も起きていないことを識る

 

ただ静けさだけがあり、その静けさで茶を飲む

 

一杯の茶にこめられた“愛”とひとつになる瞬間である

 

“私”がここに、“ある”ことの“愛”を感じる瞬間である

 

その“瞬間”は、“今、ここ”に“ある”とき創造される

 

外なる世界が嵐になっていようとも、この“愛”に勝るものはない

 

“愛”に根を下ろしていると、恐怖が押し寄せることはない

 

過ぎゆくものは、“幻想”

 

外なる世界に何を求めても、それもまた“幻想”

 

しかし、この“愛”のまなざしで、外なる世界を見つめると

 

そこに“奇跡”が生まれる

 

“癒し”が起きる

 

『神は、愛なり』

 

 

 

愛と光と感謝はひとつ

 

光は、ポジティブな思考であり、明るい

 

その明るさを

 

一瞬一瞬

 

創造する

 

その明るさは、

 

闇を照らす光となり

 

光に照らされた闇は

 

収縮し

 

元の光となる

 

愛でないものにより生まれた闇を

 

再び光に還すことができるのは

 

大いなるすべての無条件の愛に

 

闇自らが気づいたときであり

 

誰もできない

 

愛は無条件にあるがままを愛する