播いたものは刈り取られ、喜びの種を蒔く
一人の人間を多角的、多次元的にみます。
この瞬間に集約されているので、“今ここ”の意識で生きていますと、どんな瞬間にも思考の波があり、それにとらわれている自分に気づきます。
その波はエゴですから、“今ここ”の意識から離されています。気づいたら、意識に戻ります。
他者を丸ごと受け止めるありようは、何百回も輪廻転生し、あらゆることを経験済みである魂として尊重します。
そうして出会っていることの奥深さを感得するのです。そして、お互いに今この瞬間が完璧であると思え、味わいますと、
カルマで蒔かれた種は刈り取られ、新たな種を蒔きます。
新たな種は、“わくわく”。
瞬間瞬間のわくわく感、その波動になること。
そこにいるだけで、心地よい、なんだかわくわくする。
そんな場所や、行為を自分が知って日常に取り入れます。
イメージすること、話すこと、行為すること。
ポジティブに全き愛に満たされ、喜びの種を蒔きます。
もうこの地球に生まれてくることがなかったら、残りの人生をどのように創造しますか?
大いなる全てが、あらゆる天使や宇宙が、あなたをこの世に送り出していることを、
自分ひとりの喜びが、かけがえのない貴重な種となることを受けとめます。
瞬間瞬間、感謝します。
生きとし生けるものが幸せでありますように
感謝
ヒーリングの奇跡は、プラクティショナーがどんな人生を送ったかで起きるのではありません。
クライアントの痛みの波動に同調できることによるのです。
その波動を感じ取ることができるのは、元々備わっているセンサーなのです。
しかし、そのセンサーが開かれるには、プラクティショナー自身が自分の痛みに向き合い浄化することでしか開かれないのです。
その痛みを他の誰もが知る術はありません。
そうして誰にも見せない痛みに向き合うことができるのは、
本当の自分、ハイヤーセルフとひとつであることを知ったからです。
エゴをもった人間にはシェアできず、孤独にあっても、そのエゴにより傷ついたその傷を自らの意思で浄化するのです。
浄化こそが、このエゴにまみれた世界から、救い出してくれる唯一の方法なのです。
そして、人生の一瞬一瞬がその機会を与えてくれているのです。
ネガティヴな目で他者を見たり、ジャッジするのは、エゴの目です。
その目が、他者のあるがままを見、ジャッジすることなく受け入れられたとき、
その目は、もはやエゴの目ではなく、己がハイヤーセルフとひとつになった目です。
ハイヤーセルフは、大いなる全てとひとつなのです。
大いなる全ては、全くポジティブであり、ジャッジすることなく、全てをあるがままに受け入れる無条件の愛と光、そのものです。
愛と慈しみの存在となる道は、人間の進化の道です。
人生そのものが差し出してくれている、瞬間瞬間を味わい、受け止めると、感謝が生まれます。
この世に生きることと、感謝はひとつです。
生きとし生けるものが幸せでありますように
浄化のとき
一人ひとりに揺さぶりが起きてます。
浄化のとき。
目に見える世界に起きていることに揺さぶられるのは、エゴや恐れ。
意識的にポジティブな波動に変えます。そのためには、瞑想します。
静けさが力です。
生きとし生けるものが幸せでありますように